中江藤樹について語られてる文面を見つけました。
非常に参考になる文面でしたので、一部を抜粋、編集して、記述します。
【以下、編集文】
中江藤樹は、近江国高島群小川村生まれ、江戸時代初期の儒学者で、「我が国陽明学の祖」として知られています。
さて、大洲藩に大野了佐という男がいました。
彼は生まれつき知能が弱かったため、家督を継ぐことに見切りをつけられました。
何とか職をつけさせようと父は了佐を藤樹に預けました。
藤樹は了佐が医者になりたいという願望があることを知り、それを叶えようとします。
しかしながら字が読めない、書けない。
更にすぐに忘れるので何度も同じことを教えなければなりません。
二、三句教えたら二百編繰り返して、ようやく覚えたと思いきや、夕飯を食べたらすっかり忘れている始末です。
教える方も並大抵の精神力では務まりません。
まさに精根尽き果てるほどの努力だったと言います。
それでも見捨てることなく、全身全霊で教え続けることが出来たのは、了佐の学ぼうとする執念、熱意が藤樹の心を動かしたからです。
凄まじい努力の末に、何と了佐は伊予の国で医者として開業し家族を養えるまでになりました。
後に藤樹は、
「私が了佐に懸命に教えても、了佐に学ぶ意欲がなかったら到底出来る仕業ではなかった。」
と語っています。
この教育は、中江藤樹の並外れた熱意、精神力があったからこそできた快挙です。
この大業からすれば私たちの社員に対する教育や指導など甘っちょろいものです。
しかしそれだけでは上手くいきません。
藤樹も述べているように、教わる側の学ぶ意欲と相まってこそ、教育はその目的を完遂します。
つまり教わる側も「学ぶぞ!」という意欲がなければ、いくら教えても無駄であること。
決して頭脳の善し悪しではないことを知ることです。
この文面を読んで、教える側、学ぶ側、双方に執念、熱意が必要であることを、つくづく感じました。
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