「誰からも好かれる良い人でありたい!」
そう思う人は世の中に多いことと思います。
勿論、人から嫌われたい、悪い人になりたいと思う人など例外なくいないはずです。
一方、人から好かれたい、嫌われたくないと思うあまり、言うべきことが言えない、反論ができないことが蓄積され、自分自身が圧迫されるばかりになってしまっては、果たして「そこまでして好かれたいのか?良い人でありたいのか?」と客観的に考えれば大きくずれることになりませんでしょうか?
親が子に対して注意する、上司が部下に対して注意するということは、これまでは何ら普通に思われてましたが、ここ近年は、子が親に対して逆切れしたり、部下が猛反発したりして、本来注意すべきことでも、注意することができず、「果たしてこれで良いのか?」と疑問に思うことはありませんでしょうか?
やはり物事には、多少の波風が立ち、嫌われることがあっても、言うべきことは言う、注意すべきことは注意することはあろうかと思います。
それが結果的には良い人であることに、つながります。
重箱の隅をつつくようなことを言うようでは、いかがなものかと思いますが、社会的、道徳的に考えても、たとえ嫌われても、煙たがられても、言うべきことは言う、注意すべきことは注意することは重要でしょう。
好かれる、嫌われるはさておき、凛々しく信念を持つ人こそ良い人・・・
このように思いませんでしょうか?
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