柿の実を全て採らずに、一つだけその実を木に残すとします。
その一つだけ残された柿を、「木守」または「木守柿」と言います。
柿の実を全て収穫せず一つだけ残すのは、
「また来年もたくさん実をならさせて下さいね!」
という願いからと言われてます。
餌の乏しい厳冬の小鳥たちのために、一つ実を残すという話もあります。
自己中心的な自分だけが食べるということだけでなく、小鳥たちへも気配りをする繊細で謙虚な心も感じられます。
木守は、人の姿勢や考え方にも例えられますように思います。
自分の利益も少し残して、他人の利益につながるように願うといったところでしょうか。
自分の利益は、全て独り占めといった、全て柿の実を取ってしまうような、我欲の固まりはいかがなものでしょうか?
小鳥に想いを馳せるような、視野の広さと器の大きさが、人には求められるようにも思います。
果たして、木守を残すことができてますでしょうか?
「俺のもんは、俺のもん!」
そのように、全てをもぎ取ってしまうようなことは、してませんでしょうか?
木守について、今一度、認識したく思います。
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