小中学校の頃には、「オール5」といった非常に天才的な同級生が、同じクラス、あるいは同じ学校内の他のクラスに1人や2人はおられませんでしたでしょうか?
たとえ小中学校の頃には天才的な頭脳があっても、高校に進学すれば、大概文系か理系にクラスが分かれ、勉強する内容も得意分野に集中することになり、知識にも偏りが生じてきます。
大学まで進学すれば、大学ごとに学部学科も様々で、文系、理系の学部の全てを熟知することは、物理的にも不可能でしょう。
文系の学部に進学してながら、電気技術や機械設計といった理系の知識まで習得はできません。
逆に理系の学部に進学してながら、古代文学や経済学といった刎頸の知識まで習得はできません。
よって、いくら勉強しようが限度がありますし、全てを克服するのは不可能です。
ところが真面目な人に限って、「全てを克服しなければ、社会人として通用しない!」と思い悩む人も少なからずおられることと思います。
これは、全く悩む必要などないのではと私は痛感します。
どこまでいっても、人間である以上、個々に得手不得手はあります。
不得手なこと、苦手なことを克服しようとすると、大きく悩んでしまい、いつもいつも暗い表情にもなりかねません。
得手なこと、得意なことを伸ばす方が、ずっと建設的、戦略的な生き方とは思われませんでしょうか?
克服意識から脱出・・・
このように考えてみるのも、いかがでしょうか?
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