会話はキャッチボールと、よく言われます。
キャッチボールはボールを投げたり、受け取ったりすることから、言葉のやりとりもそれと同じで、キャッチボールに会話が例えられることと思います。
ところが、人の会話によっては、どう見てもキャッチボールではなく、ドッチボールではないかと見える場合もあります。
ドッジボールについては、小学生の頃には大概の人が経験したでしょうが、敵陣にボールを投げ込んで相手にボールを当て、相手を追い出していくといった風景が思い浮かぶことでしょう。
傍から見た、他人の会話(特に上司と部下)も、どうもよく聞いていると、キャッチボールではなく、ドッチボールではないかという雰囲気を客観的に感じ取ったことがありませんでしょうか?
話が一方的で、相手が受け取れないような大きなボールを、あるいは剛速球を投げ、受け取れないことは当然だという態度で、相手が困っているのに放っておき、ボールを受け取れない方が悪いと言い放ち、しまいには、相手がボールを受け取って投げ返してきても、反抗的な態度と受け取って、「何で投げ返してくるんだ!」のような顔をし、そして倍返しの強さで、また相手に投げるといった、キャッチボールにはならず、ドッジボールになってる状態です。
円滑なコミュニケーションは、相手を追い込み、追い出すようなドッチボールではなく、お互いに取りやすいところへ取りやすいボールを投げる、キャッチボールであるはずです。
周囲を見ても、ドッチボールになってしまっていませんでしょうか?
会話はドッチボールではなくキャッチボールを・・・
今一度、認識する必要はありませんでしょうか?
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