誰も自分の話に対して、反対を求めて話をする人などいません。
「そうそう、あなたのおっしゃる通り!」
と、賛成を求めて話をするものです。
これは人間の本能ですから、致し方ありません。
反対されれば嫌な気分になるもの同じです。
「自分に賛成されたい!」、「自分が認められたい!」、そう思って、人は話し始めることでしょう。
しかしながら、世の中は自分の思うようにはいきません。
自分が賛成を求めていても、反対されてしまうことは、世の常です。
「反対すんなや~!」
と腹を立てたい気持ちはわかりますが、ここが人生の勝負どころかのように思います。
ここで腹を立てて、すねてしまう人は、これから先もずっと、人とうまくやっていくことが難しいことでしょう。
自分と全く同じ意見の人など、滅多やたらといないはずです。
自分以外の人は、自分の意見に対して反対する権利もあります。
相手が反対をしてきた時こそ、人としての真価が問われるように思います。
人づきあいがうまい人や、周囲の支援に恵まれている人、人望がある人、慕われる人に共通していることは、反対意見に対して、その反対の気持ちを尊重し、違いを認めることができるということでは、ないでしょうか?
そして認めた上で、更にお互いが納得するにはどうすればいいかを話し合いできる人であり、しかもその話し合いは、決して説得や懇願、強制ではありません。
お互いに歩み寄り、妥協し、最適着地点を探そうとする、大人としての冷静な心持ちがそこにはあるように思います。
自分の意見に反対された時こそ、その人の本性が見えてくるのではないかと思いますが、いかがでしょうか?
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