会社でも自宅でも、トイレ掃除をする人はおられることと思います。
私自身、自宅のトイレ掃除は素手で実践してます。
(ゴム手袋を着用していては、細かい汚れを落としにくいということもあります)
トイレ掃除だけでなくとも、職場全体の掃除は実施されてる会社も多いことと思います。
ところで、いくら会社での掃除は定着していて、掃除に対する抵抗は無いにせよ、果たして「汚れ」に対する抵抗は「無い」と言い切れるでしょうか?
素手での掃除が危険な場合は手袋を着用することもあるでしょうが、トイレでも職場でも、掃除終了後に、手を洗う際、自分の心の汚れも一緒に落とすという気分になってますでしょうか?
単に、トイレや職場、自宅を掃除して綺麗にすればそれで良いというのではなく、最終最後、「手を洗うことで、心が洗われる」というところまで、つながっていれば、掃除そのものの意義は大きくあろうかと思います。
清掃会社に勤めてるクリーンキーパーの人によっては、
「床を磨くことにより、自分の心も磨かれる。よって掃除そのものが仕事ということは、実に誇りを持てる!」
と、ここまでおっしゃる人もおられます。
人間の心は、取り出して、洗って、綺麗にすることはできません。
ですから、見える物を綺麗にすることを通じて、取り出せぬ「心」を綺麗にすることができます。
目に見える汚れを洗って、自分の心も洗う・・・
トイレ、職場、自宅のみならず、車などもそうです。
自分の心が洗われれば、いつも新鮮な気分でおれます。
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