だれしも一番を狙おうとするのは、人間の心理として普通のことと思います。
そのこと自体は非常に前向きなことですので、私自身何ら否定するつもりはありません。
日本で一番高い山は富士山とはだれもが答えられても、日本で二番目に高い山となると、山好きの人でない限り、なかなか答えられません。
つまり、何事も一番にこだわり、二番目以下は全て意味なしと考える人もおられることでしょう。
一番になるにも、日本で一番、ましてや世界で一番はまず無理とあれば、地域で一番、業界で一番と、小さな領域の中で一番になるという考えもあり、一番にこだわることに反論するつもりはありません。
但し、一番を狙う過程において、辛く苦しい過程を経たけれど、一番を目標にして、その目標が達成され、達成感、満足感、よろこびがあれば、それはそれでよろしいでしょうが、過程において何ら楽しくなく、やり甲斐も感じられず、苦し紛れに結果的に一番になったところで、自分が疲弊しただけで、何ら嬉しいことも何ともないのであれば、この一番に意味があるでしょうか?
自分が疲弊する一番では意味がない・・・
私はこのように思います。
自分にとって価値がなく疲弊するだけなら、それこそ人生の一部の時間のロスになりかねません。
果たして自分が一番を狙おうとすることに、どれほど自分にとって価値があるのか、そのあたりを見極めてから物事に取り組まないことには、人生まで大きく狂いかねません。
自分にとって価値ある目標は一体何か?
これが一番重要かと思いますが、いかがでしょうか?
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