「我慢」と「忍耐」は、似て非なるように思います。
「我慢」は「辛抱」とは同じ意味でしょうが、自分にとって何ら目的も目標もなく、仕方なく耐えることではないでしょうか?
例えば、外出をしていて、夏は暑い、冬は寒いといった天候、気候については、自分ではコントロールすることもできず、我慢するしかありません。
また、自分にとって何ら目的も目標もないのに、他人から「我慢してやれ!」と言われたところで、何ら生産性がなく、ムダに頑張るしかないということで、「我慢」そのものは自ら望んでするべきものでもないように思います。
たまに、「私さえ我慢すれば、済む話!」などと言われる人もいますが、これは問題の先送りでしかありません。
よって「我慢」そのものは、かなりネガティブな意味が込められてるように感じます。
一方、「忍耐」は、自分にとって何らかの目的、目標があり、期限も明確にあるように思います。例えば、ある職人の親方に弟子入りしたとし、「職人として一人前になるまでは5年かかる!」と言われれば、職人としての技術力を身に付けるためにも厳しい下積みを5年間耐え忍べば、晴れてその先は独り立ちでき、自分にとっての価値ある未来像も見えてきます。
あることに対して、「いつまで耐え忍ぶ」ということが明確であれば、その期限の先には自分にとって価値ある目的もハッキリ見えており、目的に向かって「耐え忍ぶ」ということは、非常にポジティブなことにように思います。
「我慢」を「忍耐」に変える・・・
実は考え方によっては、このようにも変換できるように思いますが、いかがでしょうか?
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