「多くの人は、大きな幸せを待つ間に、小さなよろこびを取り逃がしてしまう。」
アメリカの女性小説家、パール・バックの言葉です。
大きな夢を持つことは良いことではあっても、その大きな夢を実現させて、大きな幸せを手にするためと言って、日々の小さなよろこびや、小さな幸せまで犠牲にしてしまうこともあるでしょうが、それは、いかがなものかということは私も思います。
幸せそのものは、遠くにある目的地ではなく、実は道のりや歩き方ではないでしょうか?
それゆえ、大きな幸せのために、日々の小さなよろこびや、小さな幸せを取り逃したり、犠牲にするということは、結果的にプラスマイナスゼロといったような、無意味な道のりや歩き方になりかねないようにも思います。
苦労の末の大きな幸せが、これまでの小さなよろこび、小さな幸せの積み重ねよりも、よっぽど上回る程の重みがあれば、結果的にプラスになるでしょうが、なかなか思うようにもいかないものです。
それでは結局、大きな幸せも、小さな幸せも、手に入れることはできないことにもなってしまいかねません。
日々の小さなよろこびや、小さな幸せを積み重ねていく道のりや歩き方の先に、実は大きな幸せの道のりや歩き方が身に付いてくるということでは、ないでしょうか?
小さなよろこび、小さな積み重ねの先に、大きな幸せがある・・・
このように思いますが、いかがでしょうか?
【生興株式会社 ホームページ】
【お客様相談室宛メール】
http://www.seikofamily.co.jp/form/form.html