自分が思う自分がいます。
「これは得意、ところが、これは苦手。」
となど、自分が思う自分を「自画像」と言います。
世の中は一筋縄ではいかないもので、自分が思う自分の姿「自画像」と、他人が思う自分の姿が違っていることが多々あります。
例えば、自分は人と会うのが苦手、人見知りが激しいと思っていたとします。
しかしながら他人は自分のことを、とても社交的で交友関係も広いと思っていたとします。
この状態は、自分が思う自分と、他人が思う自分が、全く一致していません。
ここで多くの人は、
「いえいえ、私はそんな社交的ではありません。人見知りも激しいですし、とんでもございません!」
となど、他人が思う自分の姿を良いイメージで持たれてても、否定してしまいます。
他人が思う自分の姿が、自分の思う姿と反することであっても、他人が自分について、そう感じていることは事実です。
そのあたり、頭から否定してしまうより、自分はそう思わないけれども、他人からはそう思われている、と他人が思う自分の姿について、受け入れることが必要なのかもしれません。
それも、人の器の大きさと言えるでしょう。
他人が思う自分の姿を、「そういう面もあるかもしれない。」と受け入れていくことを、「自己一致」と言います。
自己一致は、成熟した人間性の根幹です。
自分がどんなに認めたくないことでも、納得いかなくても、怒りを覚えても、良かれ悪しかれ、他人は自分をそう思っています。
自分が思う自分と、他人が思う自分の姿は違うものですが、果たして、どこまで受け入れて、「自己一致」がどこまでできますでしょうか?
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