ふとした時に、自分で自分のことに気付くことがあろうかと思います。
「あれができていない!」、「こうしなければならない!」
などなど、自分で自分に気付いて、そのことを実践することにより、自己変革につながります。
ところが、気付いて、わかってはいるけど、面倒臭いことにより、何もしないことはありませんでしょうか?
面倒臭さもさることながら、気付いた時に、「自分は、あれこれできていない、ダメ人間!」と自己嫌悪に陥ってしまうこともありませんでしょうか?
それゆえ、気付くことを恐れてしまうことすらあるかもしれませんが、そこは思い切って乗り越えないことには、自己変革、自己成長につながりません。
面倒臭いと思っているなら、折角自分で見つけた成長のチャンスを逃すことにもなりかねません。
気付きの感性は、だれしも自分で養う必要があろうかと思いますが、いかがでしょうか?
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気づくことは,自分の愚かさを知ることでもあります。
気づくことは,自分の欲深さを知ることでもあります。
気づくことは,自分の怒りの深さを知ることでもあります。
気づくことは,嫌な自分と会うことでもあるのです。
そんなはずはない。
私はもっとできるはずだ。
そう思っていると,気づいたとしても無意識に蓋をして気づかないふりをしてしま
います。
成長しようと思っている自分を閉じこめてしまうのです。
気づくことは,とても恐いことかもしれません。
ダメな自分,嫌な自分,認めたくない自分に会うことだからです。
しかし,そんなダメな自分を受け入れた瞬間から,気づくことほど楽しいことはな
い,と思えることでしょう。
自己変革は気づきから始まり,気づきは自分の愚かさを知ることです。
自分の愚かさを知ったとき,あなたは確実に今のあなたより変わっていることで
しょう。
気づくことを恐れず,ドンドン気づいてほしいと思います。