だれしも人は、自分に違和感を感じた時、その真因を知りたることと思います。
ここで、心理学的に安心の欲求が出てきて、真因を知れば、安心することでしょう。
真因の追求をしていくには、「なぜを5回」と言われてます。
しかしながら、真因を知ろうとしても、どうしても頭打ちになって、わからないことも多々ありませんでしょうか?
しまいには、真因を追究するよりも、追求そのものが目的になってしまい、訳がわからなくなってしまいかねないように思います。
そこまでなってしまうと、義務感や圧迫感ばかりとなってしまい、不自由さを感じるようになり、気ばかりがあせって、何も前に進まなくなっては、意味がありません。
真因の追究「なぜを5回」も大事ですが、突き詰めて考えすぎないということも、バランスが必要かと思いますが、いかがでしょうか?
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